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サッカー日本代表の歴代キャプテン【まとめ】日本代表を牽引した選手を紹介!

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サッカー日本代表が誇る頼れるキャプテンたちは、試合の戦術やチームの士気を高める重要な役割を果たしてきました。

彼らのリーダーシップの下で、日本代表はアジアの舞台から世界へと飛び立ち、多くの感動を私たちに届けてくれます。

本記事では、日本代表の歴代キャプテンにスポットライトを当て、そのリーダーたちがどのようにしてチームを牽引し、魅了してくれたのかを紹介します。

各時代のキャプテンたちがいかにしてチームの心となり、代表の成長を支えてきたのか、そのストーリーに触れ、それぞれのキャリアと日本代表での功績に迫ります。

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サッカー日本代表の歴代キャプテン

日本のサッカーがプロ化(ハンス・オフト監督時代)されてからの歴代キャプテンを紹介します。

大会や招集メンバーによってキャプテンは違いますが、主に長くキャプテンを務めた選手をまとめました。

  • 柱谷 哲二(1991年~1995年)
  • 井原 正巳(1996年~1999年)
  • 森岡 隆三(2000年~2002年)
  • 中田 英寿(2002年~2004年)
  • 宮本 恒靖(2004年~2006年)
  • 川口 能活(2006年~2008年)
  • 中澤 佑二(2008年~2010年)
  • 長谷部 誠(2010年~2018年)
  • 吉田 麻也(2018年~2022)
  • 遠藤 航(2022年~現在)

柱谷 哲二(はしらたに てつじ)

キャプテン期間国際Aマッチ
1991年~1995年72試合 6得点

当時の日本代表を指揮していたハンス・オフト監督にキャプテンに指名されました。

その後のファルカン監督・加茂周監督のもとでもキャプテンを務めましたが、本人はオフト監督時代がキャプテンとして一番上手くチームをまとめられることができたと語っています。

日本代表ではCBや守備的MFを務め、チームを激しく鼓舞する姿から〝闘将〟と呼ばれ長い間日本代表として活躍しました。

当時日本代表のエースだったラモス瑠偉さんにも、臆することなく意見をぶつけることのできる貴重な選手でした。

所属するヴェルディ川崎でもリーダシップを発揮し、黄金期を支えました。

柱谷さんも、後半ロスタイムでゴールを決められ日本初のW杯出場を逃した〝ドーハの悲劇〟を経験した選手の一人です。

日本の失点シーンは忘れることができません。

日本中がショックを受け、これからも語り継がれるであろう日本サッカーの歴史です。

当時僕は小学生でしたが、ピッチに座り込み涙を流す選手たちの姿は今でも焼き付いています。

井原 正巳(いはら まさみ)

キャプテン期間国際Aマッチ
1996年~1999年122試合 5得点

1990年代の日本サッカー界を代表するCBで、その高いディフェンス能力から〝アジアの壁〟と呼ばれていました。

フランスW杯では、岡田武史監督から「キャプテンとしてチームをまとめてくれ」と強い信頼を受け日本代表を牽引してくれました。

井原さんは、ビルドアップ能力や高いディフェンス能力を評価されて、大学生の時に日本代表に定着しました。

日本代表の守備の要として1998年のフランスW杯までキャプテンを担当しました。

当時の日本代表には中田英寿や川口能活などアトランタ五輪でブラジル代表を破った若いメンバーも多くいました。

上から押さえつけるようなキャプテンシーではなく、自主性を尊重して若い選手の背中を押すような雰囲気を作るよう努めたそうです。

個性の強い選手が多かったので、言いたいことがいえる環境が必要だと考えてそのようなスタンスを取っていたのかもしれません。

冷静で寡黙な選手、背中で・プレーでチームを引っ張るようなキャプテンという感じでしたね。

森岡 隆三(もりおか りゅうぞう)

キャプテン期間国際Aマッチ
2000年~2002年38試合 0得点

森岡隆三は、2000年のシドニー五輪と2002年の日韓W杯でキャプテンを託され、トルシエジャパンのフラット3の司令塔として活躍しました。

「キャプテンは自分自身だ!」と、エキセントリックなトルシエ監督にも物怖じせずに意見をぶつけることができる勇敢なリーダーでした。

トルシエ監督からの信頼が厚く、オーバーエイジとしてシドニー五輪にも出場しました。

指揮官から絶大な信頼を受けていた森岡さんですが、夢舞台のW杯での初戦で負傷交代となってしまいます。

キャプテンらしい仕事ができずにメンタル面でも負担の大きかった森岡さんを助けてくれたのが、当時黒子役に徹していた中山や秋田などのベテラン選手だったそうです。

彼らのチームを支える姿勢に、森岡さんも助けられキャプテンとしてチームを支えることに徹しました。

ベンチからチームを支える大切さやベテランの心意気などは、現在の日本代表でも見られる光景ですね。

森岡さんが負傷離脱して感じたことは、サッカー日本代表の財産になっているのかもしれません。

中田 英寿(なかた ひでとし)

キャプテン期間国際Aマッチ
2002年~2004年77試合 11点

中田英寿は、1998年のフランスW杯・2002年日韓W杯でも活躍し、その後のジーコジャパン発足当時からキャプテンを務めました。

攻撃的な選手でありながらもキャプテンを任されたので、歴代の日本代表キャプテンとしては珍しいケースです。

怪我で代表を離脱してから、宮本恒靖にキャプテンを譲る形となりました。宮本の方がキャプテンとして適任だと判断して譲ったとも言われています。

中田さんは、日本代表の中でも個性的で影響力を持った偉大な選手でしたが、キャプテンとしてのイメージは根付かなかった印象です。

確かに、ジーコジャパンのキャプテンは宮本さんの方がイメージが強いです。

選手としては〝10年に1人の逸材〟と昔から言われ、それに見合う結果を残してきました。

特にセリエA全盛期でのペルージャやローマでの活躍は素晴らしいものがありました。

  • 当たり負けしないフィジカル
  • チャンスを演出するキラーパス
  • 視野の広さとゲーム展開力
  • ここ一番の決定力

に興奮させられました。

ドイツW杯を最後に29歳という若さで引退してしまいました。もう1度W杯での活躍をみたかったです。

宮本 恒靖(みやもと つねやす)

キャプテン期間国際Aマッチ
1991年~1995年71試合 3得点

ジーコジャパン発足当時からキャプテンを務めた中田英寿が故障離脱して以降、出場した全ての試合でキャプテンを務めました。

世代別の日本代表や当時所属していたガンバ大阪でもキャプテンを務め、2006年のドイツWもキャプテンとして出場しました。

日韓W杯の直前に鼻骨を骨折しながらも本大会に出場し、フェイスガードを着用しながらプレーする姿は〝バッドマン〟と話題になりましたね。

宮本さんは「知的なキャプテン」という印象が強いですが、アジアカップの準々決勝、PKまでもつれこんだヨルダン戦での話が有名ですね。

中村俊輔と三都主アレサンドロが立て続けにPKを外すと、宮本選手は主審に「これはフェアじゃない。ピッチ状態が良いサイドでやるべきだ」と通訳なしでPKの位置変更を申し入れました。

前代未聞のPK戦途中でのサイド変更の結果、川口能活の神がかったセーブもありPK戦を制して、決勝戦でも勝利して2大会連続のアジア制覇を果たします。

的確な判断力と冷静さが無ければできない行動ですよね。

ジーコジャパンは選手の自主性を強調するあまりに、チームの溝はどんどん大きくなるばかりでした。そんなチームをまとめるのはとても大変だったことでしょう。

川口 能活(かわぐち よしかつ)

https://twitter.com/jfa_samuraiblue/status/865130612570562561
キャプテン期間国際Aマッチ
2006年~2008年72試合 6得点

川口能活は、2006年に発足したオシムジャパンでキャプテンに任命されました。

当時の日本代表には、

  • 田中・マルクス・闘莉王
  • 中澤佑二
  • 中村俊輔

などリーダーシップをとれる選手が多くいたので、チームバランスを考えるようなスタンスで行動していたようです。

オシム監督に代わり岡田監督が就任してからは、楢崎正剛が正ゴールキーパーを務めることが多かったので、キャプテンから外されました。

第3キーパーとして挑んだ2010年の南アフリカW杯では、怪我を押しながらもチームをまとめようとする姿は、〝歴代最高の第3キーパー〟と称賛されました。

このことからも人間性の良さやキャプテンシーが伝わってきますね。

逆境に立たされた時の存在感や気迫から、

  • 炎の守護神
  • 魂の守護神

とも呼ばれました。

ピッチの1番後ろから大声を張ってチームを鼓舞し背中を押す姿と、神がかったセービングで日本代表を牽引しました。

他の選手から尊敬される人間性とプロ意識は、若手の見本となったことでしょう。

中澤 佑二(なかざわ ゆうじ)

キャプテン期間国際Aマッチ
2008年~2010年110試合 17得点

中澤佑二は、横浜Fマリノス時代の恩師でもある岡田監督がオシム監督に代わって代表監督に就任してからキャプテンを任命されました。

2010年の南アフリカW杯直前までキャプテンを務めましたが、チーム不振や戦術変更などもありW杯からは長谷部誠がキャプテンを務めます。

闘莉王とのCBコンビは、日本歴代で最強かもしれませんね。

中澤本人は、「自分にチームをまとめる力はなかった。試合の時にキャプテンマークを巻いていただけ」と話しています。

当時の日本代表には、

  • 川口能活
  • 田中・マルクス・闘莉王
  • 中村俊輔

といったリーダーシップをとれる選手が多くいたので、そのような選手の言葉でチームがまとまっていたそうです。

心がけていたのは〝チームの雰囲気づくり〟で、練習には率先的に『明るく・楽しく・一生懸命』取り組んだそうです。

すると、自然と下の年代の選手もついてくるようなプロ集団だったとか…

サッカーを楽しみつつも真面目に取り組むからこそ、若い選手も中澤選手に引っ張られていったのでしょう。

試合では身体を張って背中でチームを引っ張っていくような選手でしたね。

長谷部 誠(はせべ まこと)

キャプテン期間国際Aマッチ
2010年~2018年114試合 2得点

長谷部誠は、日本代表歴代キャプテンの中で最も長くキャプテンを務めた選手で、日本歴代最高の『名キャプテン』といえる人物でしょう。

南アフリカW杯の本大会直前に、不振だった日本代表を変えるために中澤佑二からキャプテンを託され、本大会ではグループ予選を突破し日本代表ベスト16入りに貢献しました。

本田や長友などの若手やベテランとの融合を図るために、年齢問わずコミュニケーションを上手くとれるので任命されたそうです。

キャプテンとして結果を残しましたが、当時は「名ばかりのキャプテンだ」と謙遜していました。

各年代の日本代表監督、

  • ザッケローニ
  • アギーレ
  • ハリルホジッチ

からも賛辞を受けているので、素晴らしいキャプテンだったのでしょう。

海外の強豪チームを指揮していた監督たちが、

  • どんな時もチーム最優先の行動をとれる『天性のキャプテンだ』
  • 長谷部は『生まれながらのキャプテン』
  • 長谷部はマルディーニだ、いや彼に見劣りしない『最高のキャプテンだ』

このように称賛するのだから、人間性やプロ意識など素晴らしい選手なのが伝わってきます。

若手の話をよく聞いて監督やベテランとの間に入ってコミュニケーションをとったり、裏方のチームスタッフへも気配りができたり、選手としてだけでなく一人の人間として監督から絶大の信頼を得ていたのでしょう。

試合中も誰よりもチームを鼓舞し、闘志溢れるプレーと冷静な判断で日本代表を長い間牽引してくれました。

W杯ロシア大会を最後に代表引退を発表した時の吉田麻也選手の涙が印象的でした。
監督・選手・スタッフ・サポーター、みんなに愛された日本代表キャプテンでした。

吉田 麻也(よしだ まや)

キャプテン期間国際Aマッチ
2018年~2022年126試合 12得点

吉田麻也は、長谷部誠の代表引退に伴って2018年に発足した森保ジャパンでキャプテンに任命されました。

吉田選手は日本代表歴が長くベテランの存在、長谷部さんが長くキャプテンを務めたこともあり、歴代最高齢でのキャプテン就任となりました。

オーバーエイジ枠として出場した東京オリンピックでもキャプテンを任されました。

長く日本代表を牽引してきたし、キャプテンの風格が漂ってますよね。

吉田本人が「僕は長谷部誠にはなれない」というように、彼にとっても長谷部さんの存在は大きかったことでしょう。

長谷部さんの背中を見て感じたこと・学んだことを日本代表に還元し、日本代表の誇りとキャプテンとしての責任を胸に、新しく若い日本代表を引っ張ってくれました。

長谷部さんの後でプレッシャーもあったそうです。常にチームを鼓舞し、声を上げ身体を張り素晴らしいキャプテンでした。

遠藤 航(えんどう わたる)

https://twitter.com/weeklysd/status/1596025635847262208
キャプテン期間国際Aマッチ
2022年~64試合達成

アンダーカテゴリーなど世代別代表でもキャプテンを務め、リオ五輪でもキャプテンを務めました。

所属していたシュツットガルトでも監督や選手から厚い信頼があり、監督やスポーツディレクターから指名される形でキャプテンを務めました。

カタールW杯後は、吉田選手に次ぐかたちで遠藤選手が日本代表のキャプテンを任されています。

東京オリンピックではオーバーエイジ枠としてチームを引っ張ってくれました。

ドイツでは対人の強さから〝デュエル王〟と呼ばれ、ピッチ上で仲間を鼓舞しながらキャプテンシーを発揮しています。

前所属クラブのシュツットガルトの監督は、

  • ピッチやドレッシングルームでチームメイトにたくさん声を掛ける
  • 自分に与えられた仕事をこなしチームの先頭を行く
  • どれほど模範的な存在か本さえ書けてしまう

と、遠藤選手のキャプテンシーや人間性を称賛しています。

ピッチ内外でキャプテンとしてチームを支え、長谷部さんのような存在になっていきそうな予感がします。

日本代表になくてはならない存在です。

\W杯で活躍した三笘選手の試合を観るなら『ABEMA』がおすすめ/

まとめ|日本代表のキャプテンは守備の選手が務めることが多い

  • 柱谷 哲二(1991年~1995年)
  • 井原 正巳(1996年~1999年)
  • 森岡 隆三(2000年~2002年)
  • 中田 英寿(2002年~2004年)
  • 宮本 恒靖(2004年~2006年)
  • 川口 能活(2006年~2008年)
  • 中澤 佑二(2008年~2010年)
  • 長谷部 誠(2010年~2018年)
  • 吉田 麻也(2018年~2022)
  • 遠藤 航(2022年~現在)

サッカー日本代表の歴代キャプテンは、守備的ポジションの選手が多く務めてきました。

ディフェンスラインを統率する能力が、そのまま代表チームをまとめる力となっているのかもしれません。

選手としてだけでなく、人間性も尊敬できるような人が監督からも選手からも信頼されキャプテンを任されるのでしょう。

これから、長谷部さんを超えるような素晴らしいキャプテンが誕生するかどうかも、日本サッカーの見どころとなりそうです。

ABOUT ME
すだこ
はじめまして。サッカー大好き1986年生まれの『すだこ』といいます。 小学校3年生からサッカーをはじめ、高校時代にインターハイと選手権大会で全国ベスト16を経験しています。 当ブログ『リベログ』では、サッカー好きの方やサッカー初心者の方へ向けて、主にプレミアリーグやチャンピオンズリーグなどのサッカー情報を紹介します。
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