近年のサッカー日本代表のキャプテンと言えば『長谷部誠』選手が長く務めましたが、それまでの日本代表のキャプテンはどのような選手が務めたのか気になりますよね?
そこで本記事では、サッカー日本代表の歴代キャプテンをまとめたので紹介します。
- サッカー日本代表の歴代キャプテンを知りたい人
目次
サッカー日本代表の歴代キャプテン
日本のサッカーがプロ化されてから(ハンス・オフト監督時代)の歴代キャプテンを紹介します。
大会や招集メンバーによってキャプテンは違いますが、主に長くキャプテンを務めた選手をまとめました。
柱谷 哲二(はしらたに てつじ)
元日本代表DF柱谷哲二氏、ドーハの悲劇語る イラク戦で投入して欲しかったのは「北澤」「武田が悪いわけじゃないけど…」 https://t.co/ppSM30UnWF pic.twitter.com/MwvYLbkMpu
— デジサカ⚽️ (@digital_soccer) February 1, 2020
キャプテン期間 | 国際Aマッチ |
1991年~1995年 | 72試合 6得点 |
当時の日本代表を指揮していたハンス・オフト監督にキャプテンに指名されました。
その後のファルカン監督・加茂周監督のもとでもキャプテンを務めましたが、本人はオフト監督時代がキャプテンとして一番上手くチームをまとめられることができたと語っています。
日本代表ではCBや守備的MFを務め、チームを激しく鼓舞する姿から〝闘将〟と呼ばれ長い間日本代表として活躍しました。
当時日本代表のエースだったラモス瑠偉にも、臆することなく意見をぶつけることのできる貴重な選手でした。
柱谷も、後半ロスタイムでゴールを決められ日本初のW杯出場を逃した〝ドーハの悲劇〟を経験した選手の一人です。
日本の失点シーンは忘れることができませんね。
日本中がショックを受け、これからも語り継がれるであろう日本サッカーの歴史です。
井原 正巳(いはら まさみ)
J2福岡・井原正巳監督、日本代表に入閣へ!日本サッカー協会コーチングスタッフに就任濃厚(関連まとめ) https://t.co/MT4rLxTcmN pic.twitter.com/elqyTrE9Zd
— デジサカ⚽️ (@digital_soccer) November 19, 2018
キャプテン期間 | 国際Aマッチ |
1996年~1999年 | 122試合 5得点 |
1990年代の日本サッカー界を代表するCBで、その高いディフェンス能力から〝アジアの壁〟と呼ばれていました。
フランスW杯では、岡田武史監督から「キャプテンとしてチームをまとめてくれ」と強い信頼を受け日本代表を牽引してくれました。
井原正巳は、ビルドアップ能力や高いディフェンス能力を評価されて、大学生の時に日本代表に定着しました。
日本代表の守備の要として1998年のフランスW杯までキャプテンを担当しました。
当時の日本代表には中田英寿や川口能活などアトランタ五輪でブラジル代表を破った若いメンバーも多くいましたが、上から押さえつけるようなキャプテンシーではなく、自主性を尊重して若い選手の背中を押すような雰囲気を作っていたそうです。
個性の強い選手が多かったので、言いたいことがいえる環境が必要だと考えてそのようなスタンスを取っていたのかもしれません。
森岡 隆三(もりおか りゅうぞう)
【退任情報】元日本代表DF森岡隆三が契約満了により京都U-18監督を退任…Jユースカップなどで3位に導く
2015年から2シーズンにわたって京都U-18で指揮を執った。https://t.co/6jGQ396glJ #sanga #Jリーグ pic.twitter.com/e2q2rZCVjT
— 超ワールドサッカー (@ultrasoccer) November 17, 2016
キャプテン期間 | 国際Aマッチ |
2000年~2002年 | 38試合 0得点 |
森岡隆三は、2000年のシドニー五輪と2002年の日韓W杯でキャプテンを託され、トルシエジャパンのフラット3の司令塔として活躍しました。
「キャプテンは自分自身だ!」というエキセントリックなトルシエ監督にも物怖じせずに意見をぶつけることができる勇敢なリーダーでした。
指揮官から絶大な信頼を受けていた森岡ですが、夢舞台のW杯での初戦で負傷交代となってしまいます。
キャプテンらしい仕事ができずにメンタル面でも負担の大きかった森岡を助けてくれたのが、当時黒子役に徹していた中山や秋田などのベテラン選手だったそうです。
彼らのチームを支える姿勢に、森岡も助けられキャプテンとしてチームを支えることに徹しました。
ベンチからチームを支える大切さやベテランの心意気などは、現在の日本代表でも見られる光景ですね。
中田 英寿(なかた ひでとし)
中田英寿氏が語るW杯で戦うことの意義「負けない戦いをしても意味がない」http://t.co/eyGCdaTn2L
5月20日発売の『俺たちが愛したワールドカップ』のインタビューの中で語りました。 pic.twitter.com/kKB8jyTxvH— サッカーキング (@SoccerKingJP) June 9, 2014
キャプテン期間 | 国際Aマッチ |
2002年~2004年 | 77試合 11点 |
中田英寿は、1998年のフランスW杯・2002年日韓W杯でも活躍し、その後のジーコジャパン発足当時からキャプテンを務めました。
攻撃的な選手でありながらもキャプテンを任されたので、歴代の日本代表キャプテンとしては珍しいケースですね。
中田英寿は、日本代表の中でも個性的で影響力を持った偉大な選手でしたが、キャプテンとしてのイメージは根付かなかった印象です。
確かに、ジーコジャパンのキャプテンは宮本の方がイメージが強いです。
選手としては〝10年に1人の逸材〟と昔から言われ、それに見合う結果を残してきましたよね。
特にセリエA全盛期でのペルージャやローマでの活躍は素晴らしいものがありました。
当たり負けしないフィジカル・キラーバス・ここ一番の決定力に興奮させられました。
宮本 恒靖(みやもと つねやす)
https://twitter.com/SoccerKingJP/status/1005364756348145664
キャプテン期間 | 国際Aマッチ |
1991年~1995年 | 71試合 3得点 |
ジーコジャパン発足当時からキャプテンを務めた中田英寿が故障離脱して以降、出場した全ての試合でキャプテンを務めました。
世代別の日本代表や当時所属していたガンバ大阪でもキャプテンを務め、2006年のドイツWもキャプテンとして出場しました。
宮本は『知的なキャプテン』という印象が強いですが、アジアカップの準々決勝、PKまでもつれこんだヨルダン戦での話が有名ですね。
中村俊輔と三都主が立て続けにPKを外すと、宮本は主審に「これはフェアじゃない。ピッチ状態が良いサイドでやるべきだ」と通訳なしでPKの位置変更を申し入れました。
前代未聞のPK戦途中でのサイド変更の結果、川口能活の神がかったセーブもありPK戦を制して、決勝戦でも勝利して2大会連続のアジア制覇を果たします。
的確な判断力と冷静さが無ければできない行動ですよね。
川口 能活(かわぐち よしかつ)
【経験者が語るアジア最終予選の真実#第3回】1998年フランスワールドカップ:川口能活<前編>「サポーターの叫びと、熱におされて」 https://t.co/r042WVs5si #jfa #daihyo pic.twitter.com/ffXtNVFaO2
— サッカー日本代表 (@jfa_samuraiblue) May 18, 2017
キャプテン期間 | 国際Aマッチ |
2006年~2008年 | 72試合 6得点 |
川口能活は、2006年に発足したオシムジャパンでキャプテンに任命されました。
当時の日本代表には、闘莉王・中澤佑二・中村俊輔などリーダーシップをとれる選手が多くいたので、チームバランスを考えるようなスタンスで行動していたようですね。
オシム監督に代わり岡田監督が就任してからは、楢崎正剛が正ゴールキーパーを務めることが多かったので、キャプテンから外されました。
第3キーパーとして挑んだ2010年の南アフリカW杯では、怪我を押しながらもチームをまとめようとする姿は、〝歴代最高の第3キーパー〟と称賛されました。
逆境に立たされた時の存在感や気迫から、『帆脳の守護神』や『魂の守護神』とも呼ばれました。
ピッチの1番後ろから大声を張ってチームを鼓舞し背中を押す姿と、神がかったセービングで日本代表を牽引しました。
中澤 佑二(なかざわ ゆうじ)
サッカーの元日本代表DF中沢佑二選手の引退が発表されました。ワールドカップ(W杯)の2006年ドイツ、10年南アフリカ両大会(写真)に出場するなど、歴代6位タイの国際Aマッチ110試合に出場しました(今)https://t.co/EPUkfK9IHe#サッカー #日本代表 #中澤引退 #マリノス #横浜M pic.twitter.com/mAfEKBUz43
— 日経 写真映像部 (@nikkeiphoto) January 8, 2019
キャプテン期間 | 国際Aマッチ |
2008年~2010年 | 110試合 17得点 |
中澤佑二は、横浜Fマリノス時代の恩師でもある岡田監督がオシム監督に代わって代表監督に就任してからキャプテンを任命されました。
2010年の南アフリカW杯直前までキャプテンを務めましたが、チーム不振や戦術変更などもありW杯からは長谷部誠がキャプテンを務めます。
中澤本人は、「自分にチームをまとめる力はなかった。試合の時にキャプテンマークを巻いていただけ」と話しています。
当時の日本代表には川口・闘莉王・中村俊輔などリーダーシップをとれる選手が多くいたので、そのような選手の言葉でチームがまとまっていたそうです。
心がけていたのは〝チームの雰囲気づくり〟で、練習には率先的に『明るく・楽しく・一生懸命』取り組んだそうです。
すると、自然と下の年代の選手もついてくるようなプロ集団だったとか…
サッカーを楽しみつつも真面目に取り組むからこそ、若い選手も中澤選手に引っ張られていったのでしょう。
長谷部 誠(はせべ まこと)
東京五輪の日本代表のOA枠に長谷部誠を推す声・・・ https://t.co/x9aMPHJbUC pic.twitter.com/L7V50frkgK
— サッカーまとめアンテナ11 (@soccer_antenna1) November 18, 2019
キャプテン期間 | 国際Aマッチ |
2010年~2018年 | 114試合 2得点 |
長谷部誠は、日本代表歴代キャプテンの中で最も長くキャプテンを務めた選手で、日本歴代最高の『名キャプテン』といえる人物でしょう。
南アフリカW杯の本大会直前に、不振だった日本代表を変えるために中澤からキャプテンを託され、本大会ではグループ予選を突破し日本代表ベスト16入りに貢献しました。
本田や長友などの若手やベテランとの融合を図るために、年齢問わずコミュニケーションを上手くとれるので任命されたそうです。
ザッケローニ・アギーレ・ハリルホジッチなどの各年代の日本代表監督からも賛辞を受けているので、素晴らしいキャプテンだったのでしょう。
- どんな時もチーム最優先の行動をとれる『天性のキャプテンだ』
- 長谷部は『生まれながらのキャプテン』
- 長谷部はマルディーニだ、いや彼に見劣りしない『最高のキャプテンだ』
海外の強豪チームを指揮していた監督たちがこのように称賛するのだから、人間性やプロ意識など素晴らしい選手なのが伝わってきますね。
若手の話をよく聞いて監督やベテランとの間に入ってコミュニケーションをとったり、裏方のチームスタッフへも気配りができたり、選手としてだけでなく一人の人間として監督から絶大の信頼を得ていたのでしょう。
試合中も誰よりもチームを鼓舞し、闘志溢れるプレーと冷静な判断で日本代表を長い間牽引してくれました。
吉田 麻也(よしだ まや)
https://twitter.com/weeklysd/status/1182304393892433920
キャプテン期間 | 国際Aマッチ |
2018年~現在 | 100試合達成 |
吉田麻也は、長谷部誠の代表引退に伴って2018年に発足した森保ジャパンでキャプテンに任命されました。
吉田は日本代表歴が長くベテランの存在、長谷部が長くキャプテンを務めたこともあり、歴代最高齢でのキャプテン就任となりました。
吉田が不在の時は柴崎岳がキャプテンを務めていますね。
吉田本人が「僕は長谷部誠にはなれない」というように、彼にとっても長谷部の存在は大きかったことでしょう。
長谷部の背中を見て感じたこと・学んだことを日本代表に還元し、日本代表の誇りとキャプテンとしての責任を胸に、新しく若い日本代表を引っ張っていってもらいたいですね。
まとめ:日本代表のキャプテンは守備の選手が務めることが多い
- 柱谷哲二(1991年~1995年)
- 井原正巳(1996年~1999年)
- 森岡隆三(2000年~2002年)
- 中田英寿(2002年~2004年)
- 宮本恒靖(2004年~2006年)
- 川口能活(2006年~2008年)
- 中澤佑二(2008年~2010年)
- 長谷部誠(2010年~2018年)
- 吉田麻也(2018年~現在)
サッカー日本代表の歴代キャプテンは、ほとんどが守備的なポジションの選手が務めていますね。
ディフェンスラインを統率する能力がそのまま代表チームをまとめる力となっているのかもしれませんね。
また、選手としてだけでなく人間性も尊敬できるような人が監督からも選手からも信頼されキャプテンを任されるのでしょう。
これから、長谷部選手を超えるような素晴らしいキャプテンが誕生するかどうかも、日本サッカーの見どころとなりそうですね。
【⇓キャプテンを任命した歴代監督はコチラで紹介しています⇓】
