世界最高峰のサッカーリーグと称されるイングランド・プレミアリーグは、世界中のサッカー選手が夢見る舞台であり、その頂点に立つことは至高の栄光と言えるでしょう。
数多くのドラマを生んできたこのリーグで、日本から飛び立ったサムライたちが活躍し、歴史に名を刻みました。
彼らは新たな文化と戦術の中で自らの才能を開花させ、リーグ優勝という華々しい実績を日本にもたらしたのです。
今回は、そんな栄光に輝いた4人の日本人選手の足跡をたどります。
彼らのプロフィールからプレースタイル、リーグ優勝への道のりまで、それぞれの喜びと苦労に迫ります。
日本を離れ、世界で輝いた彼らの功績を振り返りながら、これからの挑戦者たちにとっての希望の光を見出していきましょう。
「稲本 潤一」選手|アーセナル(2001-02)
「稲本 潤一」選手は、日本人としてプレミアリーグで初めて優勝を経験した選手です。
日本を代表するボランチとして攻守にわたって活躍した稲本選手は、ひたむきな姿勢とプロフェッショナリズムで多くのファンを魅了してきました。
プロフィール・経歴
生年月日 | 1979年 9月 18日 | |
---|---|---|
ポジション | MF | |
身長/体重 | 181㎝ | |
利き足 | 右 | |
出身地 | 大阪府 堺市 |
稲本選手は、01年に当時の監督だった「アーセン・ベンゲル」に見込まれて、アーセナルに期限付き移籍をして日本人初のプレミアリーグ選手となりました。
その後、
など、ヨーロッパ諸国のクラブで活躍しました。
帰国後は川崎フロンターレや北海道コンサドーレ札幌でプレーし、その後SC相模原を経て南葛SCで現役生活を続けています。
※年数が重なるシーズンはレンタル移籍になります | ||
経歴 | 所属クラブ | 在籍期間 |
---|---|---|
ガンバ大阪 | 1997-04 | |
アーセナル (レンタル) | 2001-02 | |
フラム (レンタル) | 2002-04 | |
ウェスト・ブロムウィッチ | 2004-06 | |
カーディフ・シティ (レンタル) | 2004-05 | |
ガラタサライ | 2006-07 | |
フランクフルト | 2007-09 | |
スッタド・レンヌ | 2009-10 | |
川崎フロンターレ | 2010-14 | |
コンサドーレ札幌 | 2015-18 | |
SC相模原 | 2019-21 | |
南葛SC | 2022- |
日本代表として2000年から2010年にかけて活躍し、ワールドカップにも出場しています。
日韓W杯のベルギー戦とロシア戦でのゴールは、日本のW杯初勝利と決勝トーナメント進出に導く、日本サッカーの歴史に残るゴールといえるでしょう。
今見ても鳥肌が立つゴールです。
プレースタイル
稲本選手のプレースタイルを一言で言うと、攻撃力と守備力を兼ね備えたボランチです。
といった稲本選手のプレースタイルは、日本サッカー界に新たな息吹を与えたと言われています。
守備的な役割が重視されていた日本代表のボランチのイメージを覆し、稲本選手は攻撃的なプレーも積極的に取り入れ、攻撃的なサッカーを志向するチームに欠かせない存在でした。
稲本選手のプレースタイルは、多くの選手に影響を与え、日本サッカーの発展に大きく貢献しました。
ダイナミックなプレーは見ていてワクワクしました。
プレミアリーグでの在籍クラブと所属期間
経歴 | 所属クラブ | 在籍期間 |
---|---|---|
アーセナル (レンタル) | 2001-02 | |
フラム (レンタル) | 2002-04 | |
ウェスト・ブロムウィッチ | 2004-06 | |
カーディフ・シティ (レンタル) | 2004-05 |
稲本潤一選手は、2001年にアーセナルFCに期限付き移籍をしたことでプレミアリーグのキャリアがスタートしました。
アーセナルでは出場機会に恵まれませんでしたが、フラムへ移籍すると、
という結果を残しています。
2004年にウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンへと移籍し28試合に出場し、その間もカーディフ・シティでのローンを経験していますが、継続的に試合に出場しました。
フラム時代には、インタートトカップという国際大会でハットトリックを達成しています。
リーグ優勝に貢献した活躍
稲本選手がプレミアリーグで優勝を経験したのは、2001-02シーズンのアーセナル在籍のときです。
当時のアーセナルのMFには、
といった各国を代表するレジェンド選手が揃っており、稲本選手の出場はカップ戦の2試合のみで、アーセナルでリーグ戦には出場することはできませんでした。
稲本選手自身も、リーグ戦の出場がないにもかかわらず優勝パレードに参加したため、違和感を感じていたと告白されています。
2年後には無敗優勝するようなチームの一員だったのですから、稲本選手の経験は日本サッカーの進展に大きく影響を及ぼしたといえるでしょう。
アンリもいましたし、凄いメンバーの一員ですね。
「香川 真司」選手|マンチェスター・ユナイテッド(2012-13)
「香川真司」選手は、プレミアリーグのビッグクラブ「マンチェスター・ユナイテッド」で2012-13シーズンに優勝に貢献しました。
見る人を魅了する香川選手のテクニックやゴールへの嗅覚は、プレミアリーグのファンも虜にするほどでした。
プロフィール・経歴
生年月日 | 1989年 3月 17日 | |
---|---|---|
ポジション | MF | |
身長/体重 | 175㎝ | |
利き足 | 右 | |
出身地 | 兵庫県 神戸市 |
香川選手は、高校2年生のときにオファーを受けたセレッソ大阪でプロデビューを果たすと、2009シーズンにはMF登録ながらJ2得点王に輝きました。
Jリーグでゴールを量産すると、翌シーズンの2010年にブンデスリーガのドルトムントへ移籍。
開幕戦からレギュラーの座を確保すると、シャルケとのルールダービーで2得点をあげるなど、在籍した2シーズンでブンデスリーガ連覇とカップ戦優勝の3つのタイトルを獲得する原動力となりました。
選手個人に向けたチャントがほとんど歌われないドイツで、香川選手に向けたチャントが歌われるほど愛される存在になりました。
経歴 | 所属クラブ | 在籍期間 |
---|---|---|
セレッソ大阪 | 2006-10 | |
ドルトムント | 2010-12 | |
マンチェスター・U | 2012-14 | |
ドルトムント | 2014-19 | |
レアル・サラゴサ | 2019-20 | |
PAOKテッサロニキ | 2021 | |
シント・トロイデン | 2022 | |
セレッソ大阪 | 2023- |
ドルトムントでの活躍が当時のマンチェスター・ユナイテッドの監督「アレックス・ファーガソン」の目に留まり、2012年にマンチェスター・ユナイテッドと契約を結びました。
2シーズンにわたってプレミアリーグでプレーしましたが、ファーガソン監督の後任であるモイーズ監督の構想から外され、2014年に古巣ドルトムントへ戻ることとなりました。
その後はいくつかの海外クラブを渡り歩き、2023年より再びセレッソ大阪でプレーしています。
日本代表では97試合31得点を記録し、日本のエースとして輝きました。
プレースタイル
香川選手は、卓越したテクニックと俊敏性に加えて、判断の速さを持ち合わせているセカンドトップ及びインサイドハーフです。
といった香川選手のプレースタイルは、技術的な高さと創造的なプレーで対戦相手の脅威となります。
小柄な体格ながらも鋭い突破力があり、狭いスペースでのプレーも得意で、多くのチャンスを生み出すことができる選手です。
左右両足でボールを巧みにコントロールし、鋭いゴールへの嗅覚で多くの得点を決めてきました。
日本のサッカー界を代表する選手であり、そのプレースタイルは多くの人々に影響を与えています。
見ている観客もサッカーが楽しくなるプレーをしてくれます。
プレミアリーグでの在籍クラブと所属期間
経歴 | 所属クラブ | 在籍期間 |
---|---|---|
マンチェスター・U | 2012-14 |
香川選手が長い海外生活でプレミアリーグでプレーしたのは、マンチェスター・ユナイテッドでプレーした2012-14シーズンになります。
プレミアリーグ挑戦1年目では、怪我の影響もありましたが、20試合6得点4アシストという素晴らしい結果を残しリーグ優勝に貢献しました。
2シーズン目は、香川選手の獲得に乗り出したファーガソン監督の勇退に代わって就任したモイーズ監督新体制の移行や開幕前のケガの影響もあり、出場機会が激減しました。
最終的には、プロ選手としてデビューした2007年以降、初めて無得点のシーズンとなってしまいました。
ファンのみんなが監督が代わらなければ…と悔しい思いをしました。
リーグ優勝に貢献した活躍
香川選手はマンチェスター・ユナイテッドに加入した初年度の2012-2013シーズンにリーグ優勝に大きく貢献しました。
といった各国のスター選手が揃うビッグクラブで、定位置を確保して戦い、クラブとしても個人としても成功したシーズンとなりました。
背番号26を着け開幕戦でスタメンとして出場すると、第2節にプレミアリーグ初ゴールを記録、3節以降は左膝を負傷して2カ月の離脱を強いられましたが、復帰後の香川選手の活躍は光り輝くものでした。
特に、ノーリッジ・シティ戦で達成したハットトリックは、今見ても大興奮してしまう香川選手の良さが詰まったゴールです。
このハットトリックはヨーロッパ移籍後初であり、プレミアリーグにおいてアジア人選手として初の快挙となりました。
ルーニー選手との息の合ったコンビネーションは観ていて面白かったです。
「岡崎 慎司」選手|レスター・シティ(2015-16)
岡崎慎司は、「レスター・シティ」で2015-16シーズンにプレミアリーグで優勝を経験しています。
日本代表としても長く活躍し、国際大会では日本代表得点ランキング歴代3位、出場数4位という優れた記録を保持しています。
プロフィール・経歴
生年月日 | 1986年 4月 16日 | |
---|---|---|
ポジション | FW | |
身長/体重 | 174㎝ | |
利き足 | 右 | |
出身地 | 兵庫県 宝塚市 |
岡崎選手は2005年に清水エスパルスに入団すると、2010年にリーグ戦31試合13得点という結果を残し、2011年にブンデスリーガのシュツットガルトへ完全移籍しました。
2013年にマインツへ移籍すると2シーズン連続で2桁得点をあげる活躍をみせ、2015年にプレミアリーグのレスターへ移籍します。
経歴 | 所属クラブ | 在籍期間 |
---|---|---|
清水エスパルス | 2005-10 | |
シュツットガルト | 2011-13 | |
マインツ | 2013-15 | |
レスター・シティ | 2015-19 | |
マラガ | 2019 | |
ウエスカ | 2019-21 | |
カルタヘナ | 2021-22 | |
シント・トロイデン | 2023- |
その後は、
といったラ・リーガ(スペインリーグ)のクラブでプレーした後、現在はシント=トロイデンVVでプレーを続けています。
日本代表では119試合50得点という素晴らしい記録を残しています。
プレースタイル
岡崎慎司選手は、身長174cmと小柄ながらも豊富な運動量と献身的なプレーで、欧州のトップリーグで活躍してきた日本を代表するFWです。
といったプレースタイルでチームやサポーターを盛り上げてくれます。
常に全力でピッチを走り回る姿勢や泥くさいプレーもいとわない姿勢は、欧州トップリーグでも高く評価され、チームの攻撃を活性化させる重要な役割を果たしました。
裏への抜け出しやダイレクトシュートを得意とし、ジャンピングボレーやバイシクルシュートでゴールを決めるなど、独特な得点感覚で多くのゴールを生み出してきました。
岡崎選手なら何かやってくれるかも!とゴールを期待させてくれました。
プレミアリーグでの在籍クラブと所属期間
経歴 | 所属クラブ | 在籍期間 |
---|---|---|
レスター・シティ | 2015-19 |
プレミアリーグでは、「レスター・シティ」に2015年から2019年まで所属し、114試合に出場して14得点という記録を残しました。
2015年の開幕節からスタメンで出場すると、第2節にプレミアリーグ初ゴールをあげました。
という記録を残しましたが、目標とするシーズン2桁得点には届きませんでした。
2018-19シーズンは新監督の信頼を勝ち取ることができずに出場機会に恵まれず、シーズン終了後に契約満了でレスターを退団しました。
ヴァーディ選手に比べると得点は少なかったですが、献身的なプレーから「影のヒーロー」と称えられました。
リーグ優勝に貢献した活躍
2015-16シーズンに就任した「ラニエリ監督」は、シーズン当初の目標はリーグ残留と掲げていました。
しかし、シーズンがはじまると、ラニエリ監督の巧みなマネジメント力とチームワークで多くの強豪クラブを破り、「奇跡の優勝」と言われたシーズンを築き上げるのでした。
これらがカウンターを戦術にするレスターのプレースタイルにピッタリはまり、シーズン前には誰も予想していなかった快進撃を見せ、プレミアリーグ初優勝を成し遂げました。
132年という歴史あるクラブの優勝は各メディアで「奇跡」と称えられ、大方の予想を覆してプレミアリーグを制したこのチーム『ミラクル・レスター』と呼ばれ語り継がれています。
このシーズンのレスターの優勝オッズは5001倍という数字でした。
岡崎選手自身も、豊富な運動量と献身的なプレーでプレミアリーグ挑戦1年目に「36試合5得点2アシスト」という結果を残し、レスターのリーグ優勝に貢献しました。
特に、ニューカッスル戦でみせたオーバーヘッドキックでの劇的なゴールは世界中で話題となり、3月の月間ベストゴール候補に入り、ファン投票で2位にランクインしました。
優勝決定の瞬間は、ヴァーディ選手の自宅でチームメイトと共に歓喜に包まれ、その感動をファンと共有した瞬間でもありました。
岡崎選手にとっても、Jリーグやブンデス時代には獲得出来なかった、初のクラブリーグタイトルとなりました。
「南野 拓実」選手|リヴァプール(2019-20)
南野選手は、リヴァプールに在籍した2019-20シーズンにリーグ優勝を経験しました。
現在はリーグ・アンのASモナコに所属し、MFやFWとしてプレーし、日本代表としても活躍しています。
プロフィール・経歴
生年月日 | 1995年 1月 16日 | |
---|---|---|
ポジション | FW | |
身長/体重 | 172㎝ | |
利き足 | 右 | |
出身地 | 大阪府 泉佐野市 |
南野選手は、セレッソ大阪の下部組織に所属していた2012年に2種登録選手となり、この年にプロデビューを果たします。
2015年にオーストリアの強豪クラブ「レッドブル・ザルツブルク」へ移籍すると、2015-19シーズンの長い期間チームの主力として活躍しました。
チームの6連覇や念願のチャンピオンズリーグ出場を果たすなど、大きな功績を残しました。
綴じのチームメイトにはハーランド選手がいましたね。
経歴 | 所属クラブ | 在籍期間 |
---|---|---|
セレッソ大阪 | 2012-14 | |
ザルツブルク | 2015-19 | |
リヴァプール | 2019-22 | |
サウサンプトン (レンタル) | 2021 | |
モナコ | 2022- |
CLのリヴァプール戦で1G1Aの活躍をみせたこともあり、2019-20シーズンの途中に念願のビッグクラブへの移籍が決定。
そのシーズンの第24節にプレミアリーグ初出場を果たすと、リヴァプールは30年ぶりのリーグ優勝を達成します。
2020-21シーズンは、2月にシーズン終了までサウサンプトンへ期限付き移籍することになりました。
リヴァプールに復帰した2021-22シーズンはカップ戦で大活躍、
という結果を残し、国内カップの2冠に貢献しました。
リーグ戦では控えに回ることが多かったですが、定期的に試合に出場すると攻守両面で活躍をみせてくれました。
その後、2022年にASモナコに移籍しました。
南野選手の獲得はファン・ダイク選手が推薦したというほどCLでの印象が強かったようです。
プレースタイル
南野選手は、闘う姿勢を前面に押し出して戦うストライカーに近いタイプの選手です。
といった攻撃力が自慢の南野選手ですが、ワントップ起用というよりも、シャドーストライカーのポジションで自慢の得点力を発揮できる選手です。
Jリーグ時代には切れのあるドリブル突破も目立ちましたが、海外に移籍してからはシンプルにゴールへ直結するプレーが増えたように感じます。
高速ターンで相手を抜き去るプレーは海外選手が相手でも威力を発揮し、高い得点センスで多くのゴールを決めてきました。
気持ちが強い選手で頼りになる存在ですね。
プレミアリーグでの在籍クラブと所属期間
経歴 | 所属クラブ | 在籍期間 |
---|---|---|
リヴァプール | 2019-22 | |
サウサンプトン (レンタル) | 2021 |
南野選手は、2019-20シーズンの冬の移籍市場でリヴァプールに加入し、2022年まで所属していました。
その間、2020-21シーズンの途中にサウサンプトンにレンタル移籍をし、シーズン終了までプレーしました。
という結果を残しています。
リヴァプールではカップ戦に多く出場し、ファンが選ぶFA杯ベストイレブンにも選出されました。
リーグ優勝に貢献した活躍
リヴァプールでは、移籍初年度となる2019-2020シーズンにプレミアリーグを制覇し、日本人4人目のプレミアリーグ優勝経験者となりました。
このシーズンのリヴァプールは開幕8連勝で好調を維持し、後半戦も勢いが衰えず、7試合を残して30年ぶりの悲願の優勝を成し遂げました。
31節での優勝決定は史上最速記録となりました。
シーズン後半から加入した南野選手は、
といった強力なフロントスリーの牙城を崩すことができず、控えに回ることが多かったのですが、出場した試合では攻守両面で重要な役割を果たしてくれました。
その後のシーズンでもリーグ戦ではスタメンに定着できませんでしたが、国内のカップ戦では、カラバオカップとFAカップの両方でチームの得点王に輝き優勝に貢献しています。
ファンからは、
といった最大級の賛辞が送られています。
南野選手の放出を惜しむファンもいいです。
プレミアリーグで優勝したことのある日本人選手|まとめ
プレミアリーグで優勝した経験のある日本人選手は、
の4人となっています。
日本人選手が世界最高峰のサッカーリーグで成功を収めた功績は、日本サッカーの歴史に新たな1ページを刻んだといえるでしょう。
現在、富安選手と遠藤選手はアーセナルとリヴァプールのビッグクラブでプレーしているので、新たにプレミアリーグで優勝する日本人選手が誕生する可能性は高いです。
三笘選手が所属するブライトンも、「ミラクルレスター」のようなジャイアントキリングを起こす実力があるクラブです。
これからの日本サッカー発展のためにも、プレミアリーグへの新たな挑戦者が誕生し、国際舞台での更なる輝きを放つことを期待せずにはいられません。